野球界のみならずスポーツ界を代表する名選手、長嶋茂雄

長嶋茂雄


読売ジャイアンツ、ひいてはスポーツ界のスタープレイヤーとして活躍した長嶋茂雄は、記録より記憶に残る名選手の代表格と言えます。 アマチュアの立教大学時代には、当時の六大学リーグ記録となる通算8本塁打を記録、度々首位打者に輝くなどプロ入りが注目され、読売ジャイアンツと契約します。

1958年デビューの年、開幕戦で3番三塁手としてスタメン出場した長嶋茂雄は、国鉄スワローズのエースピッチャー金田正一を前に、4打席4三振という成績に終わります。 しかし、一年目のシーズンは最終的に打率.305、新人選手としてはプロ野球記録となる本塁打29本、打点も92と初年度としては驚異的な数字を残し、ホームラン王・打点王のほか、新人王にも輝きます。

後に語り継がれることになる1959年6月の天覧試合では、阪神の村山実投手から劇的なサヨナラホームランを放ち、プロ野球人気の上昇に一役買うことになります。

思うようなプレーができなくなったこともあり、1974年に現役を引退しますが、引退式では昔懐かしい場面として未だに度々放送される有名なセリフで締めくくりました。 そのプレーのみならず、独自の英語を融合した言動も注目され、モノマネの対象とされるなど、唯一無二のスポーツ選手として長きにわたり活躍しました。


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