プロ野球の名選手として多くのスポーツファンが知る掛布雅之

掛布雅之


掛布雅之は、プロ野球阪神タイガースで主に4番打者として活躍したスター選手で、阪神が日本一になった1985年をピークに通算で349本塁打を放ったスラッガーです。 入団はドラフト6位での指名でさほど注目される存在ではなかったのですが、持ち前の努力と並々ならぬ練習量によって頭角を現し、レギュラーの座を確保していきました。

昭和50年代前半の阪神は4番に田淵がおり、掛布がその前後の打順を打っていましたが、田淵が西武ライオンズにトレードされて以降は、掛布がチームの4番打者となりました。 昭和54年には48本塁打を記録してセリーグのホームラン王に輝き、名選手としての道のりを着実に歩んでいましたが、翌昭和55年はケガなどで70試合の出場に終わりました。

しかしこのシーズンの反省を踏まえてプロスポーツ選手としての生活を見直した掛布雅之は、翌昭和56年から60年まで5年連続全試合出場を果たし、昭和60年にチームも念願の日本一に輝きました。 しかし翌昭和61年のデッドボールの後遺症が尾を引き、惜しまれながら昭和63年のシーズンを最後に現役を引退しました。

決してスポーツ選手として体格に恵まれている訳ではありませんでしたが、努力でプロの高いレベルで活躍した選手でした。


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